新栗の仕込み

『新栗の仕込み』 が今年も始まりました!

竹風堂が最もこだわる「新栗の仕込み」が今年も始まりました。

地元・小布施を中心に国内産地からとれたての栗が入荷してきます。

新栗の仕込みは、時間との戦い。栗の実が本来もっている独特の風味は、時間とともに劣化します。原料栗が工場に入荷するやいなや、加工にとりかかれるすばやさが味の決め手となります。

「自分のところで使う栗原料は、自分の手で仕込む」

これが良い栗菓子をつくる前提条件。一貫して変わらぬ竹風堂の企業方針です。

外国産の既製品の蜜漬栗を安易に導入する一般のやり方をきびしく拒否して、竹風堂はすべて国産栗。「栗アン」用にはゆで栗から、「蜜漬栗」用は栗産地で、ひとつひとつ包丁で手ムキ加工・・・と、この時季一年分の生栗が、一刻を惜しんで、集中的に仕込まれます。

50日間の仕込みだけにしか使わない210坪の仕込み専用工場が、生き生きとして唸りをあげるさまは壮観です。

 

この仕込み作業のメドがつくのは例年9月下旬ごろ。
10月中は、直営店での定食や折詰のお持ち帰り栗おこわを新栗でご提供できる予定です。旬の風味豊かな味わいをお楽しみください!

直営各店にてお待ちしております。

※栗の入荷、仕込みの状況によっては時期が前後する場合もありますので、ご了承ください。

栗おこわ定食

【山家定食】 1,890円(税込)
栗おこわに、虹鱒甘露煮、山菜煮物など、
山野の幸をあつめたお食事。

 

 

◆ 直営店のご案内はこちら

 

栗の話

 

〔小布施栗のルーツ〕

 小布施栗の伝承には、弘法大師と荻野常倫の二説が古くから伝えられてきました。

 

(1)弘法伝説

 平安時代の初め、弘法大師が諸国巡錫のおり、三粒の栗を農夫に授けて栽培を奨め、この地を小布施と名付けられたというものです。三粒の栗というのは、仏法僧の三宝を現したものともいわれますが、全国的にある弘法伝説を出るものではないようです。
 長野電鉄小布施駅からほど近いところの弘法堂には、大師の石像が祀られ三月二十二日(現在は四月二十九日)をご縁日として近郷の人びとで賑わってきました。

 

(2)荻野常倫

 室町時代初期の貞治六年(一三六七)に、丹波高山城主・荻野朝忠の子・常倫は、争乱から信濃に逃れてきて小布施にいたり、岩松院の裏山に二十端(ふたばた)城を築き、永禄年間武田信玄によって津軽の地へ追われるまでの間、当地方を代々領有したと伝えられます。
 旧領の丹波は栗の名産地であり、その栗を移植して松川の氾濫を防ぎながら住民に救荒食料として奨励したとする説は、彼地の品種の、長光寺・銀寄(ぎんよせ)・霜被(しもかづき)・鹿の爪などが、昭和十五年ごろの小布施で検出し得たところから、信憑性が高いと市村鷹雄著「小布施栗之研究」では述べています。
 また、昭和五十二年の「全国クリ研究大会」の資料でも、この常倫から百数十年くだった戦国末期の永禄・天正のころは、栗林が繁茂していたと伝える「言伝記」に照らしてこの説は確実であろうとしています。

 

〔小松姫と小布施栗〕

 元和年間(一六一五~)徳川家康の養女小松姫が、初代松代藩主・真田信之に嫁した際に、化粧料として栗林をたまわり、いらい松代藩に移管になったといわれるもの。
 たしかに元和八年には村の一部が松代領となり、明治になるまで栗林が管理されてきたことは事実である一方、元和元年家康没、小松姫六年病死とはどう結びつくものやら、歴史の真実はミステリアスでもあります。

 

栗